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執筆者の写真久実kumi

死・別れ

死はいつも唐突に訪れたと感じられる


先週、義母・夫の母が他界した

ちょうど一週間前



義母は2018年末に肺癌との診断を受けていた

右肺の肺癌(直径4㎝)が原発巣

左肺の肺腺癌(かなり影が濃い)と脳にも癌らしきものが二ヶ所が転移

との診断だった


手術をすることはなかった



義母ということは明記せず


そのBlogに書いたように義母には月に2、3回の施術

1回、2時間~4時間くらいの施術

転移の左肺の肺腺癌と脳の癌らしきものは消えていた


右肺の原発巣は大きさをそれほど変えることなかった



癌のために処方される薬にたんぱく質の吸収を阻害する性質があり

癌がわかってからのこの3年弱の間

何度か脊柱の圧迫骨折や脚の剥離骨折などがあり

コロナ禍の中、面会のできない入院をした期間もあった



それでも、元氣になり、一緒に旅に行ったり

食事に行ったりすることを楽しみにして

闘病を続けていた



薬などの効果やオステオパシー誇張法の効果もあったのか

昨年9月には一緒に訪れ、義母は兄姉や近所の方と再会できた



今年の夏前くらいにも腰椎の圧迫骨折があり

骨折の対応で数週間の入院があったが

その後、オステオパシー誇張法を何度か行い

寝たきりに近い状態で退院したのが

7月には家の中では壁や家具に手をついて移動したりして過ごすことができるようになり

9月には外での15分ほどの散歩ができるくらいには回復


右肺の原発巣は大きな変化はなかったが

すぐにどうこうという感じではなかった




9月23日・秋分の日

オステオパシー誇張法をしに行った

夫と子どもも一緒に

夫と子どもが義父と一緒に出掛けている間

約3時間ほど

オステオパシー誇張法を座ったまま受けてくださった


とても氣持ち良いと

呼吸が、腰の痛み、股関節が

楽になったと

言ってくださった


最近は散歩もできるようになってきたから

春になったら一泊で近場の温泉に旅行に行きましょうね

と未来に向けた話もした


夜は家族で買ってきたお寿司を食べて

義母は少食ながらも好きなネタを食べていた


翌日9月24日、癌の検査に行くと言っていた





翌週、義父から夫に義母の調子が悪いと連絡があった

何度かの電話の連絡


ベッドから起き上がれないと


検査で肺に水が溜まっていることが確認され

医者との相談の上、肺の水を抜いたとのこと


食べても何もかも吐いてしまうし

病院に行こうと言っても

もう病院には行きたくないと言う、と




こちらからも訪問診療や訪問看護を頼んだ方が良いとのアドバイスをし

レンタルベッドを借りた時にお世話になったケアマネさんへ義父が依頼して

10月2日には家で点滴ができるようになった


義父は少しホッとしたようだが

電話に義母が出ることはなかった




10月3日午前中

珍しく用事もなく、施術のお客様もいなかった

夫の用事もずらせれるものだったし

子どもの用事もなかった

だから思い立って、夫の実家に行った


義母は横たわり目を閉じたまま、辛そうに呼吸をしていた

脊柱に触れることは難しかった


9月23日に会った時とは全く違う表情


仰向けのまま

肩鎖関節、胸鎖関節、肋骨

少しでも呼吸、肺に関するところを和らげようと触れさせてもらった


途中で目覚めた義母は

他の人には聞こえないくらい小さな、かすれた声で

「久実さん、色々とありがとう」

と言ってくれた


色々ってなあに

これからも一緒に旅行に行きましょうよ


そう言いたかった

でも言えなかった


1時間ほどの短い滞在

でも行けて良かった




翌日4日の夜

家族で夕飯を食べ終わり

寛いでいたら

夫に義父から電話


呼吸が止まったと



夫と息子と三人で

病院へ駆けつけ

義父と一緒に医者の説明を聞く


心臓マッサージはしているけれども

もう、機械の力が無ければ生きられないと

脳の機能も失われていると


死亡の確認をし

義母についていた幾つかの医療機器は取り除かれた



6日通夜

7日葬儀


遠くから

義母の親族

義父の姉・弟

また会いたいね、と言っていた人たちが会いに来てくれた


お義母さん

良かったね



お義母さん

私の義母になってくれて

色々と教えてくれて

本当にありがとう

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